太宮神社の狛犬

太宮神社の狛犬
太宮神社の狛犬(サムホール・キャンバス・ミクストメディア)

霞ケ浦の朝日と狛犬

2023年の大晦日、紅白を見終えて

近くの氏神様に挨拶をしに行った。

夜中の12時前なのだが鳥居まで、すでに行列である。

並んでいる途中で2024年を迎え、

拝殿までたどり着くのに3、40分かかった。

慌ただしく参拝を済ませ、お御籤を引くと「小吉」。

ま、こんなところか。

寝正月をして、結局、朝日の出を拝んでない。

ということで、1月最初の3連休に朝日を

見たいなと行く所を決めたのは「霞ケ浦」

ツイッター(=X)で見たフォロワーさんの霞ケ浦の風景が

眼に焼き付いていたこともある。

また、ついでに吉方位を調べたみたら、北東方面。

ちょうどその方向ではないか、と決めたのだった。

金曜日の夜、9時頃に出て、高速に乗る。

 

霞ケ浦近くの谷田部パーキングエリアで休憩して、

ここで車中泊をしようと思ったが、

高速を駆け抜ける車の音が響き、

エンジンをかけたトラックも多く停まっていて

けっこううるさい。

これでは安らかに寝れないな、と車を出した。

初めて行く場所の車中泊は様子も分からず不安ではあるが、

夜中に着いた公園は、意外と広くて静かな場所だった。

正解だった。

(車中泊も2、3年にはなるが、だいぶ慣れてはきた)

 

公園の近くに霞ケ浦が見え、

日が出る15分前に起きてすぐに浦沿いに出る。

公園が見た朝日の出。
公園で見た朝日の出。6:58頃。車中泊は起きて直ぐに見られるのがいい。

朝日といっても霞ケ浦の朝日は、

水面にも日が反射するので、とても気持ちがいい。

霞ケ浦の日の出
霞ケ浦の日の出。水辺近くに寄り写真を撮った。これはこれで絵になるなぁ…。

近辺の神社を見て回ることにした。

すべて狛犬を中心とした参拝。

意外とこの近辺には、狛犬自体が

ないところも多く、逆に探すのに手間どる。

日光街道近辺はあるのかも知れないが

ちょっと旧道を外れると意外に無いのだ。

太宮神社の狛犬

今回題材にしたのは安食にある太宮神社の狛犬だ。

太宮と書いて「おおみや」と読む。

(ちなみに安食は「あんじき」と読む。あじきではない)

ナビの誘導で登録地点についたのだが、

鳥居が見えない。

大宮神社の入り口
大宮神社の入り口。遠くに誰が来たのだろうと額に手をかざしている宮司さんがいる。

奥には拝殿らしきものが見える。

たまに鳥居のない神社を見かけるが

ここもそうなのかな、と境内に

足を踏み入れた。

参道途中に、二本の竹を立て掛け

注連縄を渡している、これが鳥居の代わりだろうか。

よく見ると、鳥居の根元にある跡らしきものがあった。

 

拝殿前には、古めかしい狛犬が置かれてあった。

参拝を終えて、狛犬に近づこうとすると左手にある建物から

「ご参拝ありがとうございます」と声を掛けられた。

年配のおばさんである。

宮司さんかな。近づいてこんにちはと挨拶をした。

「ここは太い宮と書いて、おおみや、と読むのですね」

と疑問を言うと、

「昔の文献を見ると、大宮も太宮もあるんですよ。

今は、太い宮と書いておおみやと言ってますよ」

とのことだった。

「あの、鳥居が無いんですけど、なんでですか?」と聞くと

「前は両部鳥居があったんですよ。でも、

台風のときに傷んでしまって、解体して※1

それから無いままなんですよ。でも毎年、代わりに

新しい竹の鳥居を立て掛けているのよ」とのことだった。

※1(2019年)12月に解体したとのこと。

それからいろいろをお話を伺った。

戦争中は多くの軍人さんが参拝しに

来てくれたのよ。

とある雑誌にこの神社のことが

載って、ここの神社に参拝した人が無事に

戦地から帰って来た、ということで有名になって、

それから多くの人が参拝しに来たのよ。

でも、そのことが理由で(戦争を賛同したと

解釈されたのか)、戦後に境内が半分削られたのよ。

昔は、もっと境内も広かったのよ。

と言っていた。

神社にもそれぞれ歴史があるんだな、と思った。

「ここは立派な狛犬さん、いますね」と言うと

「あらお宅さん、狛犬好きなんですか。拝殿の中に

獅子頭があるでしょ。あれね、この近くに

そういうのを彫る名人さんがいて、

奉納していただいたのよ」

拝殿の中の様子。
拝殿の中の様子。正月だから開いていたのかも。右に獅子頭が見える。

「え、この近くにそういう方いるんですか。

素晴らしいですね。奉納していただいたって

タダだったのですか?」と

ちょっと現金な質問をしたら、

「あら、わたし値段のこと分からないわ。

獅子頭ってどのくらいするのでしょ。

タダで奉納してくださったのよ」

と、笑いながら答えてくれたのだった。

奉納された獅子頭。
奉納された獅子頭。

話し終えたあとで

拝殿前の狛犬をじっくりみた。

 

左の吽形は少し口を開けぎみ。

たまご状の眼の輪郭は深く刻まれ

眉毛は渦巻き2つ、耳下にも

カールする毛がいくつも流れる。

尾っぽは欠けているようだった。

太宮神社の吽形狛犬

右の阿形は頭の上にまんじゅうみたいな宝珠を乗せ

口を開け少し威嚇ぎみである。

しっかりした立て尾である。

阿形狛犬
阿形狛犬

面白いことに、この狛犬の脚元をみると

四本爪のちょっと内側の上に

もう1本の爪が生えているのである。

阿形足元の爪
阿形足元の爪。内側に狼爪があるのが見える。なぜか栗が置かれていた。

親指か? いままで意識してなかったが、

これは狼爪(ろうそう)ということだろう。

しっかりと付けて彫られていた。

ほかの狛犬はどうだったろうか?

意識していなかったので他の狛犬が気になってしまった。

(僕のイメージは前脚の爪は4つだと思っていたのだ。

次からはよく見なくてはな、と思ったのだった)

台座を見ると文化13年(1816)の刻印

あった。1800年代の前半、だいぶ古い。

石工の名前が彫られていいるようで

はっきり読めなかったのは残念。

今回、この狛犬を描くことにした。

おそらく戦前、戦中にたくさんの

軍人さんが来てお参りしていった姿を

この狛犬さんは見詰めていたであろう。

 

帰りがけに宮司さんから、「よかったらどうぞ」と

写真のものをいただいた。

宮司さんからいただいたもの。

ここの社宝である「鰐口※2の写真をラミネートしたものと

清祓の文字の書かれた紙人形と榊を入れた袋。

ありがたく頂戴したのであった。

※2 太宮神社の社僧である浄超が応永10(1403)年に奉納したもの。

 

以前に失敗したキャンバスに

モデリングペーストを塗りつけ

また新たに描き込んだのであった。

 

思いを秘めた狛犬さんである。

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題材の場所: