天神社の狛犬
2023年の12月中旬
山梨県の狛犬見学に出かけた。
山梨のいいところは
多くの場所から富士山がよく見えるところだ。
![](https://shi9ga3.com/wp-content/uploads/2024/02/IMG_7292-min-768x1024.jpg)
![](https://shi9ga3.com/wp-content/uploads/2024/02/fujisan-300x137.png)
たぶん、日本中を旅をして回った人は、
この美しい大きな山姿を見て、
ここに住みたくなるのではないかと思う。
あの美しい大きな山は、
目印にもなって方角も分かりやい。
さらに、毎日眺めていても
いろいろな姿を見せてくれ飽きることない。
昔、ここの地に住み着いた人は、
きっとこの富士をありがたがり
住み着いたのだろう。
分かる気がする。
![富士の風景](https://shi9ga3.com/wp-content/uploads/2024/02/IMG_7465-min-768x1024.jpg)
その日、
山奥の穂見神社に行って木彫りの狛犬を
見たときは感激したものだ。
また、狼の像を見たときも
独特なこの地域の造形に
驚くとともに大事にされている様子をみて
心を打たれたものだ。
その時の絵も記した。
今回、絵の題材にしたのは穂見神社から
稲穂稲荷神社へ行く途中に寄った天神社の狛犬だ。
神社自体は、国道42号線近くの住宅街にある小さな神社である。
どこにでもあるような地域の神社である。
![天神社の全景](https://shi9ga3.com/wp-content/uploads/2024/02/IMG_7582-min-1024x768.jpg)
ただ、ここの狛犬さんが
とても愛らしいお顔をしていて
家に帰ってからも、
どうしてもこの狛犬さんのイメージが
頭に浮かんでくるのでしょうがない。
描くことにした。
この天神社については、由緒書もなかったし
ネットで調べてもたいした情報もない。
ただ、天神社ということから
御祭神は、菅原道真公だろう。
勉学を励んでいる学生が受験前に
祈願しに来ているのかも知れない。
おそらく地域で大事にされている神社なのだろう。
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狛犬は、昭和五年(1930)四月、
刻 依田傅作 と台座に記されていた。
![台座の刻印](https://shi9ga3.com/wp-content/uploads/2024/02/IMG_7598-min-1024x768.jpg)
昭和の狛犬は、昭和の初期頃までは
石工の手で作られ、それなりの
いい作品が残っている。
昭和の狛犬のピークは
皇紀二千六百年(昭和15年、1940年)頃だと思う。
日中戦争さなかの頃で
翌年より太平洋戦争と突入して
国民の生活はだんだんと苦しくなってくる頃だ。
いろいろと狛犬巡りをしていると
皇紀二千六百年に作られた狛犬が多いのに気づく。
節目の年であるし、時代的には
戦意高揚のために奉納されたのが多いのだろう。
ただ、それ以降は、戦争中、戦後となり
狛犬を作る職人も減っていき
しだいと岡崎現代型が増えてくるのである。
(最近は、機械彫りの外国産のが増えている)
この件は、狛犬-岡崎型とは何だ?、で記したの参照してください。
昭和の時代であっても
いい作品に巡り合うことは
とても嬉しいことである。
依田さん、
かわいい狛犬さんを彫ってくれて
ありがとう。
今回、ツイッター(=X)にアップ(2024年2月8日)したときから
加筆して、もっと背景を暗くして
狛犬を目立たせる工夫を施しました。
![トップ画像へ](https://shi9ga3.com/wp-content/uploads/2020/06/Art035.png)
題材の場所: