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旗岡の狛(旗岡八幡神社)

旗岡八幡神社・吽形狛犬
旗岡八幡神社・吽形狛犬(F4・キャンバス・油絵)

旗岡八幡神社(はたがおかはちまんじんじゃ)

今回の狛犬さんの絵は

旗岡八幡神社の狛犬である。

旗岡・旗台・旗の台…地名がややこしい

旗岡八幡神社は旗の台駅(はたのだいえき)からは

徒歩7・8分のところにある。

東急大井町線・江原町駅では、

降りるとすぐにある。大蓮寺の奥である。

てっきり、旗の台駅近くにあるので

最初、旗の台八幡神社かと思っていたら

旗岡八幡神社であった。

旗岡も、「が」の送りが入っていないので

最初、はたおか、かと読んでいたら、

「はたがおか」であった。

ややこしい。

近くにある区立旗岡小学校も「はたがおか」と読む。

しかし、保育園や郵便局や病院には

「旗が岡」と「が」が入る。

さらにややこしい。

旗岡八幡神社の鳥居
旗岡八幡神社の鳥居

旗岡八幡神社の狛犬

神社の詳細は他のブロガーさんの

ブログにゆずるとして

僕は狛犬について記します。

旗岡八幡神社・拝殿
旗岡八幡神社・拝殿
旗岡八幡神社の由緒
旗岡八幡神社の由緒はこの看板に書いてあります。

旗岡八幡神社には二対の狛犬さんがいる。

拝殿前は招魂型の狛犬さん。

筋肉隆々の胸の張った狛犬である。

招魂型の特徴は

胸に鈴が付いていることだ。

(なかには付いていないのもある)

旗岡八幡神社・拝殿前狛犬
旗岡八幡神社・拝殿前狛犬

ここの制作年代・石工さんは不明だったが

石が新しめなので、そんなに

古いものではないだろう。

 

もうひとつは、

旗岡八幡神社のは入り口、

階段を登ったすぐ両脇に

置かれている狛犬さんだ。

どっしりとした

体躯に毛の流れが

流麗に彫り上げられた狛犬だ。

調べてみると

文化五年(1808年)十月奉納

石工・和泉屋庄兵衛さん

作ったものだ。

古い割に保存状態良好である。

旗岡八幡神社・阿形狛犬
旗岡八幡神社・阿形狛犬

旗岡八幡神社の狛犬を描く

旗岡八幡神社には

2度訪れたが、やっぱり

この狛犬は存在感があり

印象に残る狛犬さんだ。

 

とくに眉毛や髭、

鬣の毛の流れが

どっしりとした体なのに

しなやかに彫られているのが

目につく。

そして眼光も鋭い。

旗岡八幡神社・吽形狛犬
旗岡八幡神社・吽形狛犬

今回の絵は、2020年12月末に

M1のテレビを見た後、

急に描きたくなって

2・3時間で描きあげたもの。

キャンバスを取り出し、

一気に全体のラフを描き、

ちょこちょこと描き足しただけ。

いつもの厚塗り感はない。

色数も少ない。

 

ただ、この狛犬さんの

視線、髭まわり、

鬣の流れを描きたく

筆を持ち出したのだ。

 

写真の利用

風景を題材に絵を描く僕にとって

写真の活用は必須である。

幸い最近のスマホは、解像度が高く

簡単に写真を撮ることができる。

(おそらく、スマホを持っていなかったら

絵を描きたい衝動は生まれなかったの

かもしれない)

スマホで撮った写真は数しれないが、

そのまま絵の題材に使える写真は

ほんの2~3パーセントぐらいだ。

というのは、僕には

写真を撮る根性がないのである。

 

いい写真を撮るには、

たぶん、いいカメラを買って

レンズも揃えて、

三脚や照明などを揃えることが

必要かも知れない。

そのようなお金もないし、

いい場所に行って、

タイミングを見計らって

ずっと待っているような

忍耐がないのである。

最近、知り合ったツイッターの

写真家さん、いい写真をたくさん

上げていて驚いている。

 

たとえば、冬山の写真を撮っているIさん。

撮るのにカイロを4つ貼って

冬の防寒の重装備をし、

雪上車に乗って1時間、

寒い中、タイミングを見計らって

シャッターを押すなんて行動は

僕にはできない。

また、Kさんという方は、

朝日や夕日の素晴らしい写真を撮っている。

その方は、日の登る前1・2時間ぐらい前には

起きて準備して現地に行き、

夕方はまた沈む前に、

また準備をして写真を撮りに行く。

それを毎日欠かさず行っているのだ。

日の出・日の入の写真はタイミングが命なので、

その時間を逃したらおしまい。

準備と忍耐には頭がさがる思いだ。

 

また、さらに、僕のような

人がまわりにいたら気が散って

しまうものは、なかなか

いいタイミングでシャッターを

押すことができない。

いい構図を狙って

無理な態勢を取りながら、

ジャストタイミングを狙って

撮るわけではないので

当然として、いまいちな写真

ばかりになるのだ。

絵の優れた点とアナログ派

その点、絵を描くことは

画面上で自分の好きなように調整して描ける。

いらない物が写っていたら

描かなければいいし。

逆になにか物足りなければ、

描き足すこともできる。

色も自由に、彩色を変える

ことができる。

だから、僕は撮ってきた写真を

そのまま使うということは

せずに、レイアウトし直したり、

自分なりの色彩感覚で

(色覚異常ではあるが…)

描くことが多い。

 

最近はタブレットで絵を

描くこともできるが、

僕はやっぱり、筆を使って

描くことが好き。

今でいうアナログ派ということだ。

絵の具をこねくりまわして

ああでもない、こうでもないと

キャンバス上で筆を

動かしていることが

好きなのだ。

そして、デジタルでは

あの、つるっとしたディスプレイが

いまいち馴染めない。

プリントアウトしても

ペラペラで味気ない。

絵の具を塗ったその

筆のタッチや軌跡が見える

絵が好きなのだ。

画家で言えば、ゴッホ

有名であるが、あの

筆のタッチや軌跡をみると

作家の息遣いが聞こえてくるようで

見ているとなんか胸がドキドキしてくるのだ。

たぶん、筆のタッチや軌跡に

画家のこころ波動のようなものが

混じっているからかも知れない。

 

だから、僕も自然と

そのようなタッチの絵に

なってくるのではないか、と

思っている。

 

しかしながら、

今回は時間をかけていないので

あっさりタッチの絵だ。

旗岡の狛さんを

短時間で捉えてみた。

 

狛犬さんの、流麗な鬣、

するどい視線

僕の筆は引き込まれて

描いたのだった。

 

描かさせてくれた狛さん、ありがとう。

 

(F4・キャンバス・油絵)

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