白髪白山神社(しらひげはくさんじんじゃ)の名前
今回、絵の題材の地は白髪白山神社(しらひげはくさんじんじゃ)である。
白髪の字、よく見たら「髪」(かみ)である。
今まで、参拝したしらひげ神社は、
「白髭」または「白鬚」と書く神社がほとんどであった。
だから、てっきり「白髭」と書いているのかと思っていた。
遠視の混じった僕の目には、小さい文字は
同じように見えるのだ。(泣笑)
なんで、「白髪(はくはつ・しらが)」を「白髪(しらひげ)」と
読ませるのだろう?
ネットで検索して調べてみると、ここの御祭神の一柱は
白髪武広国押稚日本根子天皇(清寧天皇※)と記されている。
(※出生時より髪が白かったのでアルビノではと言われている)
しらがのたけひろくにおしわかやまとねこてんのう、と読むので
本来は「しらが」と読んでいたのではないかという。
この神社の近辺には「白髭神社」という名の神社が
いくつもある。白髭神社の御祭神は、通常、猿田彦命 であるが
ここの由緒板にはとくに、その記述がなかった。
祭神 | 白髪武広国押稚日本根子天皇(清寧天皇)、白山菊理媛命、韓姫命(清寧天皇母) |
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おそらく、本来は白髪(しらが)と読んでいたのではないか。
それが、どういきさつか混同され、「しらひげ」と読むように
なったのでは、ないかというのだ。
神社の社号標がもう少し大きく映っている写真があったので
見ていたら、なんとそこには
「白鬚白山神社」と刻まれているではないか…。
神社自体が混沌としているなあ。
とにかく、白髪を「しらひげ」と読ませるのは
首をかしげるのである。
なぜに白髪白山神社へ
2021年の8月末、僕は埼玉県の飯能市に向かおうと思った。
その年、大河ドラマ「晴天を衝け!」が
放映されていたが、渋沢栄一の見立養子であった
渋沢平九郎(しぶさわへいくろう)が新政府軍に追われ、
飯能の山の奥の地で、
壮絶な最期を遂げて死ぬシーンが
涙を誘い印象的であった。
その哀しい自刃の地というのが、飯能の山にあるというので
一度、その場を見てみたいと思ったのだ。
地図で調べてみた。
狭山日高インターチェンジを降りて1、2時間あれば
車で行ける距離である。
そうすると、そこまでにに行く途中の神社も気になる。
何か面白い狛犬さんは居ないだろうか。
Google Mapsで調べてみると、
国道299号線と平行して走っている
西武池袋線の近くに興味深い狛犬さんが載っているのを発見した。
それが、今回題材の地となった「白髪白山神社」なのである。
線路沿いの白髪白山神社
実は、ここの神社、絵を描く前に
2022年の3月にも来て二度参拝した。
というのも、1回目に来たときに見た
拝殿前の狛犬がとても印象深くて
もう一度見たいと思ったからだ。
一度目は、国道299号先から南下して
狭い道を通りながら
神社の西側にある駐車スペースに停めて参拝した。
二度目は、南側から車で向かった。
入間川にかかる橋を渡って
狭い道を通り線路を渡って、
工事規制の場所を避けて神社を周回して
同じ駐車スペースに停めた。
白髪白山神社の西側では、
すぐ近くで西武池袋線を跨る
陸橋が工事中だったのである。
いずれこの神社のすぐ近くに出来た陸橋を
渡る車でうるさくなるのだろうか。
白髪白山神社の狛犬
鳥居の前は真ん前に踏切がある。
ときおり西武電車が勢いよく駆け抜けていく。
鳥居をくぐると、
左に石で囲われた柵の中から
大きなご神木が生えているのが見える。
その先、拝殿の前には
左右にきちんと台座に座った
狛犬が見える。
見るなり、そのずんぐりむっくりした
狛犬に目が奪われる。
まるっこい目、愛嬌ある顔、
首が短く、両手をまっすぐにして
どっしりと座っている。
回りをぐるぐる眺めると
四角い石を有効に削った
さまがよく分かる。
素朴で愛嬌のある
ブサカワ狛犬なのである。
台座を調べると
大正9年 川越市の小池銀次郎という
石工が彫ったことが分かる。
気に入った。
この狛犬を題材にしたい、そう思った。
白髪白山神社の狛犬を描く
今回の狛犬さん、重厚さを出すために
下地作りから始めた。
モデリングペーストでキャンバスの上を
ペインティングナイフで塗り
固まると、さらに狛犬部分を
厚塗りして盛り上げていった。
すべてが乾くと、
今度は文房具屋で買ってきた
彫刻刀を使って
狛犬の流れるタテガミや
尻尾などを削っていった。
大まかな彫りが済むと
今度はアクリルを乗せていった。
絵を描いているのか
彫っているのか、
これを絵画と言っていいのか
よく分からないが、
とにかく狛犬の質感に近づけたく
必然的にそのようになってしまった。
いったん、着色して
描き終えたが、1ヶ月ぶりに見ると
なんだか味を感じられない。
今度は、アキーラという絵の具を
上から塗りつけ狛犬の存在感を
さらに高めたく少々加筆した。
絵というもの時間が経ってみると
いいところや悪いところが見えてくる。
どうしても描き上げた直後は
のめり込んでいて客観的に見れないのだ。
時間をおいて見るのが、その場合は
いいのだろう。
どうですか狛犬さん? これでいいかな?
「ガハハハ」
絵から返ってくる声は
快活な笑い声だけである。
ま、無反応よりいいか…。
渋沢平九郎、自刃の地を行く
渋沢平九郎のことを途中で綴ったので、
最後に、実際に、行ってきたことを記します。
まず、平九郎が亡くなる直前に寄った「平九郎茶屋」。
かなり山を登ったところにある。
平九郎茶屋に入ると、高齢のおばあちゃんが一人で切り盛りしていた。
大河のおかげで、とても一人じゃやっていけない、と
呟いていた。店の奥にはグループでやってきている人が
食事をしていた。これから、頼んでもそうとう遅くなりそうなので
自動販売機でお茶を買うだけにした。
平九郎茶屋の北側に
山を登る道があった。そこには古い建物があった。
この建物が昔の茶屋(平九郎が寄ったといわれる)だったのだろうか…。
建物の前の道は、実際に平九郎が通った道である。突き当りが運命の分岐点である。
右に行けば越生方面、左に行けば秩父方面。
平九郎は右の方を選択した。
左に行けば無事に生き延びたのかも知れないのだ。
下の写真は平九郎が自決をした場所である。
新政府軍に見つかった平九郎は、応戦をしたが、右肩を斬られ、足には銃弾を受け、
もう逃げられないと悟り、この場所で自決したのだ。
22歳という若さであった。
石の前で跪き、手を合わせた。
白髪白山神社と渋沢平九郎
今回、白髪白山神社と渋沢平九郎とは
まったく関係ない内容であるが、
狛犬や神社に関心を持つと、
ありがたいことに、知らない土地にまつわる知識や
歴史にも、触れることができるので
自分ではとてもいい趣味に巡り会えたと思っている。
若き年で亡くなった平九郎さんに哀悼の意を表するとともに
狛犬を彫った石工:小池さん、ありがとう、と伝えたい。
小池銀次郎の狛犬たち
その後、神社まわりをしていたら、
石工:小池銀次郎さんの彫ったものを他の神社で見つけたので記しておきます。
社寺名 | 場所 | 年代 | コメント |
喜多院境内
範士中井翁碑 |
〒350-0036 埼玉県川越市小仙波町1丁目20−1 | 大正2年(1913)2月
※これはネット調べ。
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石碑。
大正から昭和にかけて活躍した川越市の石工さんということは分かる。
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白髪白山神社 | 〒357-0023 埼玉県飯能市岩沢533 | 大正9年(1920) | 今回、題材となった狛犬さんである。
首が見えないずんぐりむっくり。愛嬌ある造り。 |
大袋白髭神社 | 大正10年(1921)2月 | 白髪白山神社のずんぐりむっくりタイプとひじょうに似ている造り。 | |
豊岡愛宕神社 | 〒358-0003 埼玉県入間市豊岡3-7-32 | 大正12年(1923) | 江戸尾流れタイプなのだが、ずんぐり感あり。自分の感性と江戸尾流れがせめぎ合っているよう。
川越、入間あたりに石工不明のこのタイプの造りがいくつかあるが、もしかしたら小池銀次郎さんの造ったものかも知れない。 |
中氷川神社 | 〒359-1145 埼玉県所沢市山口1849 | 昭和2年(1927)2月
※岡崎型である |
岡崎型の狛犬である。
これはオーダーなのか、岡崎型の資料をみて作ったのか…。 |
古谷本郷氷川神社 | 〒350-0002 埼玉県川越市古谷本郷872 | 昭和3年(1928)2月 | 岡崎型ではなく、尾流れの俯向いた格好の哀愁のある造り。 |
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。