菅原の狛牛

菅原の狛牛
菅原の狛牛(F6・キャンバス・メクストメディア)

菅原の狛牛

今回の絵は、菅原神社の狛犬ならぬ

狛牛の絵だ。

 

一度、2023年の4月、完成したときツイッターに掲載したが、

その後、描いた絵を見ると

なんか物足りなくなり、描き足した。

ツイッターにアップした時の絵。
キャンバスまわりに余白を残した絵であった。

絵というもの不思議である。

いったん、これで終了と思っても

しばらく経ってみると

「なんか違うな~」

「もっとここをこうしたらいいかな~」

と思うのである。

たまに、手を入れる必要がないや、というのも

あるが、めったに味わえるものではない。

たいがいが、「んん~」となって

加筆したくなるのである。

そして加筆すれば良くなるのかと思ったら、

返ってひどくなるときもある。

そんなときは頭を抱えて落ち込むことになる。

加筆作業、さらに良くなるように

手を加えるのは難しいのだ。

だが、その絵を描く苦悩は楽しみでもあるのだ。

たぶん苦しみだけになったら描けなくなるのだろう。

そんなことを思った。

 

菅原神社の狛牛を見に行く

連れの親戚の墓地が埼玉県の東松山にあるので

その近辺の神社でいいところはないかなと

グーグル・マップを見ていた。

 

マップで「神社」と文字を入力すれば

その近辺の神社がすべてあぶりだされてくる。

ひとつひとつ神社の箇所をクリックしては

写真を見て、いい狛犬はないかと探しているのである。

すると、吉見百穴近くの神社に

通常のリアルな牛さんと違って

少々デフォルメされたいいお顔の牛さんを拝殿前に発見した。

神社名は「菅原神社」という。

菅原とは、菅原道真のことか? たぶんそういうことだろう。

菅原関係の神社は、だいたい狛牛がいる。

これは、いつか現物を見てみたいや、と思っていた。

 

2021年10月末、墓地に行く用事ではないが、

東松山市を探索だと、薄曇りの日に出かけてみた。

この界隈では有名な「吉見百穴」を見てから、

菅原神社に向かった。

国道307号線から今泉東松山線に入って

すぐのところにあった。

神社の東側に車を停めるところがあったが、

神社の鳥居は南側の道から入る。

道路からいったん下がって、また階段を上がる構造。

ちゃんと鳥居をくぐって礼をして入らないと

落ち着かない。

菅原神社の鳥居
菅原神社の鳥居

階段を上がると、拝殿が見えるが

その前に、牛の像が台に乗っていた。

座るというよりどちらも寝そべっている。

菅原神社の拝殿
菅原神社拝殿にある狛牛。

「これだ、これだ」

見るとやはり、少し漫画チックな

デフォルメされた牛さんがいた。

菅原神社、右側の牛さん
菅原神社、右側の牛さん。目の形が特徴的である。

「なかなか味があるなあ…」

台座を見ると、

大正11年(1922)10月15日に奉納されていることが分かった。

後ろから見た牛像
奉納年月日が刻されている。

奉納者らしき名前が3名ほど彫られていたが

石工さんの名前は見当たらなかった。

大正時代のこの近辺の石工さんかな…。

菅原神社の由緒

松山菅原神社は、修験観音寺を開山した「忠良」が、応永年間(1394-1428)に創祀した。

祭神は、菅原道真公で、現在内陣には菅公座像が安置されている。

味のある狛牛さんを見せていただいて

ありがとう。

狛牛を描く

モデリングペーストとアクリルで

作品を仕上げることが多いのだが、

いまいちアクリルの色だけだと

もの足りない。

そこで、最近は、墨汁やら

苦手なパステルを使いだした。

パステルが苦手な理由

パステルって箱にチョークのように1本1本並べられているのだが、

その1本には色名が付いていない。なので色覚異常者には

色名が分からないのだ。箱に乱雑に置かれてしまうと、

もうどれが何色が分からない。だから、緑と思っても

違う色をつかんでしまうのだ。色名がついていない画材は

扱いがひじょうに難しいのだ。

   

墨汁を垂らしたり、パステルを削って吹きかけたり、

いろいろ加えていくと、だんだんと味が出てくる気がする。

味 … いったい何なんだろう。

奥行きというか…

狛牛自体の存在感も大切だが、

僕はその背景も気にしてしまう。

背景を塗ったり、削ったり、墨汁垂らしたり、

拭き取ったり、そんなことして

ああでもない、こうでもない、と彷徨っている。

そして、今回はこれで終了した。

狛牛の存在感を出したかった。

 

「どうだい? 牛さん。いいですかね?」

ひと言「モ~」

もうちょっということかな…。

牛歩の歩みで描いていこう。

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