伊豆美の狛(いずみのこま)と内藤慶雲

伊豆美神社の狛犬
[伊豆美(いずみ)神社・阿行狛犬・P10・キャンバス・ミックスメディア]

伊豆美神社(いずみじんじゃ)の狛犬

2019年の8月の終わり、まだ

陽射しの強い晩夏の頃だった。

多摩川の水神社から少し住宅街に入った場所に

伊豆美神社はあった。

伊豆美神社・一の鳥居
伊豆美神社・一の鳥居

「いずみ」…とっても響きのいい名前。

「伊豆美」という漢字も見た目がいい。

伊豆美神社・扁額
伊豆美神社の扁額

調べてみると、

1868(明治元)年に社号を伊豆美神社と改称したとのこと。

「伊豆美」は当地名「和泉」にちなんだ当て字。

元は六所宮と称していたらしい。

神社の説明は、他の神社ブロガーさんの

記事のほうが詳しく書いていますので

そちらを参照していただくとして、

僕は、狛犬について記します(^^)

 

伊豆美神社の参道は長く

一の鳥居を潜って

武蔵国最古の鳥居と言われる

二の鳥居を潜って

しばらく歩いた手水舎の近くに

今回の題材である狛犬が

右、左の台の上に乗っかっている。

伊豆美神社・吽形狛犬
伊豆美神社・吽形狛犬。こちらの狛犬を別角度から描いた。

初めてこの狛犬を見たとき

僕の胸は高鳴った。

というのも、いままでかなりの数の狛犬を見てきたが

この狛犬を見たとき、

あまりにも見事な鬣(たてがみ)の

しなやかさに驚いたからだ。

伊豆美神社・阿形狛犬
伊豆美神社・阿形狛犬。 口元が欠けている。しなやかな鬣(たてがみ)のカールが目につく。

ただ、残念なことに、

阿形、吽形ともに

口元がもろい石質のせいか、

欠けていたのだ。

 

だが、その欠けを補うほどの

鑿(のみ)さばきの軽快さ、

シャープな彫りに

釘付けになった。

鬣の流れは秀逸と言っていい。

 

石工は、内藤慶雲

大正十三年(1924)の作だ。

 

ここで内藤慶雲さんが出てきたので

今回はそのことは次の項目で記そう。

(吉澤耕石のことを、以前記したが

そのときに、いずれ内藤慶雲のことを

記すと書いていた)

 

伊豆美神社には、他にも狛犬が2対いる。

拝殿前に、岡崎型狛犬。これは

よく見られるタイプ。

伊豆美神社・拝殿
伊豆美神社・拝殿前に一対の岡崎型狛犬がいる。

そして、本殿を囲う塀の中に古い狛犬がいる。

だが、板の隙間から拝むことしか出来ないのだ。

江戸尾流れタイプということが分かるが、

近くで見ることができないので、

横顔か後ろ姿しか拝むことができない。

伊豆美神社・本殿内狛犬
伊豆美神社・本殿内狛犬

いずれにせよ、木々に囲まれた

静かな落ち着く神社であった。

 

内藤慶雲(ないとうけいうん)とは誰だ

今回、絵の題材として

初めて内藤慶雲(ないとうけいうん)さんの狛犬を

取り上げたが、いったい内藤慶雲とは何者なのか、

記すことにする。

 

内藤慶雲とは明治・大正・昭和初期と活躍した

川崎市溝の口にある石材店で彫られたものにつけられた

石工名、いわばブランド名なのである。

その時代、関東界隈では、

登戸の吉澤耕石(よしざわこうせき)

溝の口の内藤慶雲(ないとうけいうん)

と呼ばれ、有名だったのだ。

吉澤耕石については、以前の記事を参照してください。

細山神明社・吽形狛犬

内藤慶雲の初代は、内藤留五郎である。

腕のいい内藤留五郎が

弟子をいれ、しだいに工房を

大きくして、その中でも

優秀な腕を持つ数人の弟子が

内藤慶雲という名を与えられた。

(4名ぐらいはいるのではないかといわれている)

この件については、

「狛犬の杜☆別館」のブログ

「編集長の狛犬小屋」内

内藤慶雲・内藤慶雲の墓所を訪ねて

に詳しく記されています。

墓石に47名の名が刻まれていて、

その中の4人の戒名だけに「慶」

あるいは「雲」の文字が含まれている。

なので、この4人が慶雲を名乗ったのではないだろうか、

といわれている。

 

残念ながら現在、内藤慶雲の活躍していた

溝の口の内藤石材店はない。

内藤慶雲のライバル吉澤耕石は、

以前の記事で書いたように

吉澤石材店として、現在も業務を行っている。

(最近、ツイッターで吉澤石材店の社長さんと

つながって、私は大変嬉しいです。

いつか挨拶に行きたいと思ってます)

 

それで、内藤石材店をグーグルで

調べてみると、都内大田区に1店、

神奈川県鶴見区にも1店あるではありませんか。

僕はそれぞれに電話して聞いてみた。

電話するおじさん

「そちらは明治・大正・昭和と活躍した

内藤慶雲さんと関係がある店なのでしょうか?」

突然の問い合わせに、恐らくびっくりだったかもしれない。

すると、どちらのお店の親方さん?も

丁寧に答えてくれた。

「内藤慶雲の店ではないです」

「内藤慶雲とは関係があるのですか?」

少しつっこんで聞いてみると、

「のれん分けですね」

ということだった。

関係は少しあるのだった。

ただ、おおもとの溝の口の店は

もうない、とのことだった。

2つの店の話を聞いたところ、

最初に大田区の店、

それから鶴見区の店と、

順にのれん分けしたようだ。

大田区の店のかたは、

「いまはもう狛犬はつくっていないね」と。

「50年前ぐらいからやめている」ということだった。

おそらく、狛犬ってつくるのに技術がいるし

作るにも手間がかかるうえ、

採算が合わなくなったのであろう。

 

内藤慶雲の狛犬タイプと場所

内藤慶雲の狛犬、

ここの伊豆美神社の狛犬は

鬣の流れが秀逸である。

ところが、他にもあちこちに点在している。

内藤慶雲の狛犬、

場所によって姿・形がだいぶ違うのである。

前の項で、内藤慶雲は4名いたのでは、

と記したのであるが、

そのおのおの石工さんによって作られた狛犬のタイプが違うのかもしれないし、

同じ石工さんでも、その人の年代によっても違うのかもしれない。

いずれにせよ、かなり異なるタイプがあることから、

狛犬ファンの間でも、この点は不思議に思われているようだ。

そのような理由からか、たくきさんの創作した

「内藤慶雲物語」という、ひじょうに面白い

お話も生まれている。

 

初代の内藤留五郎は、耳が横にひろがった

犬のパピヨンみたいな狛犬タイプが多い。

いわゆるパピヨンタイプ

以下、僕がかってにつけてタイプですいません。

あと、口の開け方がW字にみえるW口タイプ。

青山の勝五郎を意識したような、獅子タイプ

(青山の中村勝五郎は、代々木八幡の狛犬が有名です)

ほかに、耳が伏してマナコがかわいい、伏耳マナコタイプ

少々ぶさいくで木訥な、ぼくとつタイプ

で、伊豆美神社の狛犬はというと

これらに当てはまらないのである。

獅子タイプに近いというところか。

 

以下、内藤慶雲の狛犬を調べてリスト化したので

関心のあるかたは、参考にしていただけると幸いです。

作成するのにだいぶ手間取りました^^;

作成年順に並べてあります。

(新情報がありましたら、適宜更新します)

内藤慶雲のリスト

内藤慶雲狛犬ファイル
神社名 場所 作成年 刻印 タイプ メモ
弘化3年内藤留五郎生まれる
小金井神社 〒184-0012 東京都小金井市中町4丁目7−2 明治13年(1880)9月 内藤留五郎 パピヨン
橘樹神社 〒213-0023 神奈川県川崎市高津区子母口122 明治13年9月 内藤留五郎 稲荷さん
宿神明社 〒182-0017 東京都調布市深大寺元町5丁目32−2 明治13年10月 内藤留五郎 パピヨン
青渭神社 〒182-0017 東京都調布市深大寺元町5丁目17−10 明治13年10月 内藤留五郎 パピヨン
岩戸八幡神社 〒201-0005 東京都狛江市岩戸南2丁目8−2 明治15年(1882)9月 内藤留五郎 伏耳まなこ
汁守神社 〒215-0035 神奈川県川崎市麻生区黒川1 明治15年12月 見えない 伏耳まなこ
太子堂八幡神社 〒154-0004 東京都世田谷区太子堂5丁目23−5 明治21年(1888)10月 内藤留五郎 パピヨン 明治21年より留五郎(41歳)内藤慶雲を名乗る。長男作太郎17歳。
八幡神社 〒211-0013 神奈川県川崎市中原区上平間299 明治23年(1890) 内藤慶雲 伏耳まなこ
杉山神社 〒224-0034 神奈川県横浜市都筑区勝田町1231 明治24年(1891)9月 内藤慶雲 伏耳まなこ
瀬田玉川神社 〒158-0095 東京都世田谷区瀬田4丁目11−31 明治32年4月 内藤慶雲 パピヨン
杉山神社 〒213-0013 神奈川県川崎市高津区末長2丁目28−1 明治32年9月 内藤慶雲 ぼくとつ
杉山神社 〒214-0037 神奈川県川崎市多摩区西生田3丁目3−2 明治32年(1899)10月 内藤慶雲 伏耳まなこ
白鳥神社 〒215-0024 神奈川県川崎市麻生区白鳥2丁目10−1 明治32年 内藤慶雲 ぼくとつ
久地神社 〒213-0032 神奈川県川崎市高津区久地1丁目39−1 明治34年(1901)10月 内藤慶雲 伏耳まなこ
東方天満宮 〒224-0045 神奈川県横浜市都筑区東方町1275 明治35年(1902) 内藤慶雲 W口
杉山神社 〒226-0022 神奈川県横浜市緑区青砥町1119 明治39年(1906) 内藤慶雲 ぼくとつ
嶺白山神社 〒145-0075 東京都大田区西嶺町4−10 明治39年5月 内藤慶雲 W口
白山神社 〒215-0014 神奈川県川崎市麻生区白山4丁目3−1 明治39年5月 内藤慶雲 パピヨン
  大正2年長男作太郎逝去
杉山神社 〒206-0823 東京都稲城市平尾4丁目45−6 大正4年(1915)8月 内藤慶雲 伏耳まなこ
神明神社 〒216-0003 神奈川県川崎市宮前区有馬5丁目13−24 大正4年10月 内藤慶雲 W口
大鳥神社 〒153-0064 東京都目黒区下目黒3丁目1−2 大正5年(1916)9月 内藤慶雲 獅子タイプ
椙山神社 〒195-0054 東京都町田市三輪町1618 大正7年(1918)9月 内藤慶雲 伏耳まなこ
月讀神社 〒215-0021 神奈川県川崎市麻生区上麻生7丁目38−4 大正7年11月 内藤慶雲 獅子タイプ
湯殿神社 〒143-0025 東京都大田区南馬込5丁目18−7 大正10年(1921)4月 内藤□□刻 獅子タイプ
伊豆美神社 〒201-0012 東京都狛江市中和泉3丁目21−8 大正13年(1924)12月 内藤慶雲 鬣シャープ
  大正14年留五郎逝去
高木神社 〒152-0013 東京都目黒区南2丁目1−40 昭和4年(1929)10月 内藤慶雲 伏耳まなこ
春日神社 〒206-0021 東京都多摩市連光寺1丁目8−9 昭和9年(1934) 伏耳まなこ
太子堂八幡神社 〒154-0004 東京都世田谷区太子堂5丁目23−5 昭和11年(1936)10月 内藤慶雲 獅子タイプ
白髭神社 〒213-0005 神奈川県川崎市高津区北見方2丁目14−7 昭和15年(1940)6月 内藤慶雲 獅子タイプ 2016年高圧洗浄機で洗浄される(Twitter情報)

僕は上の表の中で、「春日神社」のみ訪れたことがない(2021年1月時点)。

その他は、すべてこの眼で確認している。

内藤慶雲作の狛犬は、まだ探せば他にも出てくるに違いない。

内藤慶雲リストのコメント

上、表リストについてコメントします。

「橘樹神社」のみ、狛犬ではない。ここにあるのは、

内藤留五郎さんの彫ったお稲荷さんである。

このお稲荷さんのお顔やからだの造形が、

パピヨン風狛犬とほぼ同じなので(とくに子どもの目が同じ)、

留五郎タッチを知る上で貴重なのでリストに入れてある。

橘樹神社のお稲荷さん
橘樹神社のお稲荷さん

「汁守神社」のみ、内藤慶雲の刻印は確認されていない。

削れて読めないのだ。

たくきさんの「内藤慶雲物語」のなかでは、

みずから削ってしまった経過が面白く記されているが、

このお話はフィクションなので、これをもとに断定はできない。

ただ、「岩戸八幡神社」の同年3ヶ月前に奉納されている

狛犬の造形(とくに子獅子のまるまった格好)が

汁守神社の狛犬とひじょうに似ているのだ。

こちらはしっかりと内藤留五郎と刻印が読める。

それで、推測で内藤慶雲の作だとされている。

そして、この狛犬はひじょうに出来がいいので

僕も好きな狛犬だ。これは、以前絵にしているのである。

そのときは、石工・不明と記している。

汁森神社・吽形狛犬

〇明治13年の頃、留五郎さん、

小金井神社の狛犬のほか

お稲荷さんの作成とたくさん

活躍している。

10月には同じ月に2体も作成している。

「青渭神社」「宿神明社」

両神社はけっこう近い場所にある。

青渭神社のほうが、少々力が入っているな…

なんでだろう……このような視点でみても

興味が掻き立てられる。

明治32年も、4体の狛犬を奉納

している。そのころ、

あちこちから発注があり、内藤工房は

てんてこ舞いであったのではないか、と

想像する。それで、それぞれタイプが

異なるから、手分けして作業したのか…

作りおきをもってきたのか…。

このなかで、僕は白鳥神社の狛犬が

愛おしい。なんか、ぎこちない鑿さばきで

懸命に彫っているような石工さんの姿が

浮かぶのだ。留五郎さんに指導されながら

けんめいに彫ったのではなかろうか。

そのような想像をしながら描いたのが

以前にアップした絵です。

白鳥神社・吽形狛犬

 

〇リストの中で、「大鳥神社」は、

都心にいちばん近い。

多くの人が参拝に来る神社だろうからか、

力の入りかたが半端ないくらい、

ここの出来はいい。

いずれ絵にしたいと思っているくらいだ。

都内でも人気の有名な神社だから、

丁寧に作り込みしたのだろうか…。

〇題材にした「伊豆美神社」の狛犬は

留五郎さんがお隠れになる前年度の狛犬だ。

おそらく、体力の衰えた年老いた親方に

いい狛犬を見せようとして

名を継いだ弟子の内藤慶雲が

精魂込めて彫ったのかもしれない。

「親方、できました! 見てください」

「うーむ、やっと見られるくらいになったか…」

と言ったかは、わからない。

そんな、想像をしてしまう。

 

リストを眺めるとまだ、ほかにも

いろいろ推測することがありますが、

この辺にしておきます。

「伊豆美の狛(いずみのこま)」

今回の絵は2日間で仕上げた。

絵のタイトルは「伊豆美の狛」

1日目にキャンバスをイーゼルに乗せ

モデリングペーストと

アクリルを混ぜ、一気に下地を作った。

アクリルのいいところは

すぐに乾くこと。

小一時間で固まってくるので、

さらに、その上から全体像を

おおまかに描きこんでいく。

2日目は、油絵を溶いて

その上から油絵の具を重ねていく。

全体を見ながら、適宜色を加えていき、

細部に手を加え、まとまったところで

筆を置くことにした。

 

内藤慶雲さんの狛犬、

その彫りの素晴らしさを

表現できただろうか…。

 

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題材の場所: