祠の見える風景1

祠の見える風景1
祠の見える風景1(F3・キャンバス・アクリル他)

祠の見える風景1

神社を訪れて狛犬を見るのが趣味なのだが、

ときおり見かけるも気になるのだ。

祠(ほこら)…ある辞書を開くと

《「ほくら(神庫・宝倉)」の音変化》神を祭った小さなやしろ。

と記されている。

〈ほ〉は秀のことらしいので、秀でた倉ということか。

大事な方(=神様)がいらっしゃるという場所なのだろう。

それじゃ、神社と祠は何が違うのか…。

規模の違い、法人格を有するか有しないかの違い、

いろいろ解釈があるようだが、ざっくり言えば

大きさの違いなのかな。例外もあるようだけど…。

いずれにしても祈る場所なのだ。

そういえば、昔、ゲームをしていたとき、

よくが何かのヒントになる場所だったり、

地下道につながっていたり、ワープしたり、

とにかく不思議で興味深いところだった記憶が

湧き上がってきた…

 

今回、絵にしたのは東京都町田市三輪町にある

「熊野神社」の境内にある祠である。

訪れたのは2020年の7月である。

その日は、雨が降りそうで降らない微妙な天気だった。

熊野神社の一の鳥居の扁額と二の鳥居。
熊野神社の一の鳥居の龍に囲まれた扁額と二の鳥居。奥に拝殿。

一の鳥居をくぐり、二の鳥居を過ぎた両脇の高台の上に

石工:吉澤耕石の狛犬が座っていた。

熊野神社・吽形狛犬
熊野神社・吽形狛犬
吉澤耕石の阿形狛犬
吉澤耕石の阿形狛犬。大正14年(1925)4月の作である。

「ずいぶん凶暴そうなお顔だなぁ」と思いながら

写真を撮ったあと拝殿に行き参拝。

熊野神社の拝殿
熊野神社の拝殿。左側に御神木の葉が繁っている。
細山神明社・阿形狛犬

すると左側の大きなアカガシの木に目を奪われたのだ。

根のがっちり張った勢いのたくましい木である。

アカガシの御神木と祠。
アカガシの御神木と祠。

大木の前に来ると、その前にぽつんと祠が置かれてあった。

なんだか、とても心地いい風景なのだ。

僕はこのような樹勢のいい大木の前に来ると

こころ安らぐのである。

ほんと神様がいるような気になる。

で、その大木に前に可愛らしい祠。

祠の扉にある穴、ハートを逆さにした穴、

猪目(いのめ)というのだが、

それが、にっこり笑っているかのような目に

見えたのだ。

これを絵にしよう、そう思った。

御神木の前に佇む祠。
御神木の前に佇む祠。祠の前にペットボトルが置かれていた。

おまけ。

ここ熊野神社の本殿を挟んで、右側、左側に

なぜか無機質な壁に向けて古い狛犬さんが置かれている。

吽形先代狛犬
吽形先代狛犬・天保14年(1843)12月の作。
阿形先代狛犬
阿形先代狛犬。壁に向かっている。

本殿を見守っているのかな。

祠の絵の加筆、そしてアンビバレントな思い

2022年の7月に一度、

描き上げてTwitterにアップしていたのだが、

自分ではいまいち納得していなかった。

境内の祠
境内の祠。2022年7月にTwitterにアップした時の絵。

今、Twitterのアナリティクスというのを調べると

インプレッション 1469、

エンゲージメント 273

いいね は 213

であった。この数字に関しては

いまいち何のことなのかよく分からない。

そんなところの反応が普通のことなのだろうか…。

それから今年(2023年7月)になって、また、加筆した。

色覚異常者にとっては

分かりやすい色、黄色と青色を加筆したのだ。

自分の中では、以前より心地いい色になったのだが

正常者にとってはどう見えているのか分からない。

ただ、僕は色覚異常者に分かりやすい絵、

心地いい絵を描いていこうかな、と

思っている。

20人に1人(男性の色覚異常者の確率)の鑑賞者に向けて、

500人に1人(女性の色覚異常者の確率)の鑑賞者に向けて、

描いていくのだ。

対象者は非常に少ない。なおかつ、その人たちがそれを見て

いいと思ってくれる人は、何人いるのだろうか…。

まったくもって市場原理に反する絵描きである…、

これじゃ、絵を売って生活なんてとてもできないや、と

思うとともに、いや僕の絵を分かってもらえる人は

必ずいるんだ、絵を買ってくれる人が現れるんだ…、

そんなアンビバレントな気持ちがうごめいている。

ただ還暦まで描きたい思いをずっと押さえていたので、

これからもずっと描いていこうという思いは変わらない。

ただ、単純ではないのは、

絵を描くことが好きという思いと同時に、

一般の人(=色覚正常者)に受け入れられるのか分からない

不安と恐怖。

相反する思いを持ちながら、

僕の描く作業は続くのである。

 

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