祠の見える風景1
神社を訪れて狛犬を見るのが趣味なのだが、
ときおり見かける祠も気になるのだ。
祠(ほこら)…ある辞書を開くと
《「ほくら(神庫・宝倉)」の音変化》神を祭った小さなやしろ。
と記されている。
〈ほ〉は秀のことらしいので、秀でた倉ということか。
大事な方(=神様)がいらっしゃるという場所なのだろう。
それじゃ、神社と祠は何が違うのか…。
規模の違い、法人格を有するか有しないかの違い、
いろいろ解釈があるようだが、ざっくり言えば
大きさの違いなのかな。例外もあるようだけど…。
いずれにしても祈る場所なのだ。
そういえば、昔、ゲームをしていたとき、
よく祠が何かのヒントになる場所だったり、
地下道につながっていたり、ワープしたり、
とにかく不思議で興味深いところだった記憶が
湧き上がってきた…
今回、絵にしたのは東京都町田市三輪町にある
「熊野神社」の境内にある祠である。
訪れたのは2020年の7月である。
その日は、雨が降りそうで降らない微妙な天気だった。
一の鳥居をくぐり、二の鳥居を過ぎた両脇の高台の上に
石工:吉澤耕石の狛犬が座っていた。
「ずいぶん凶暴そうなお顔だなぁ」と思いながら
写真を撮ったあと拝殿に行き参拝。
すると左側の大きなアカガシの木に目を奪われたのだ。
根のがっちり張った勢いのたくましい木である。
大木の前に来ると、その前にぽつんと祠が置かれてあった。
なんだか、とても心地いい風景なのだ。
僕はこのような樹勢のいい大木の前に来ると
こころ安らぐのである。
ほんと神様がいるような気になる。
で、その大木に前に可愛らしい祠。
祠の扉にある穴、ハートを逆さにした穴、
猪目(いのめ)というのだが、
それが、にっこり笑っているかのような目に
見えたのだ。
これを絵にしよう、そう思った。
おまけ。
ここ熊野神社の本殿を挟んで、右側、左側に
なぜか無機質な壁に向けて古い狛犬さんが置かれている。
本殿を見守っているのかな。
祠の絵の加筆、そしてアンビバレントな思い
2022年の7月に一度、
描き上げてTwitterにアップしていたのだが、
自分ではいまいち納得していなかった。
今、Twitterのアナリティクスというのを調べると
インプレッション 1469、
エンゲージメント 273
いいね は 213
であった。この数字に関しては
いまいち何のことなのかよく分からない。
そんなところの反応が普通のことなのだろうか…。
それから今年(2023年7月)になって、また、加筆した。
色覚異常者にとっては
分かりやすい色、黄色と青色を加筆したのだ。
自分の中では、以前より心地いい色になったのだが
正常者にとってはどう見えているのか分からない。
ただ、僕は色覚異常者に分かりやすい絵、
心地いい絵を描いていこうかな、と
思っている。
20人に1人(男性の色覚異常者の確率)の鑑賞者に向けて、
500人に1人(女性の色覚異常者の確率)の鑑賞者に向けて、
描いていくのだ。
対象者は非常に少ない。なおかつ、その人たちがそれを見て
いいと思ってくれる人は、何人いるのだろうか…。
まったくもって市場原理に反する絵描きである…、
これじゃ、絵を売って生活なんてとてもできないや、と
思うとともに、いや僕の絵を分かってもらえる人は
必ずいるんだ、絵を買ってくれる人が現れるんだ…、
そんなアンビバレントな気持ちがうごめいている。
ただ還暦まで描きたい思いをずっと押さえていたので、
これからもずっと描いていこうという思いは変わらない。
ただ、単純ではないのは、
絵を描くことが好きという思いと同時に、
一般の人(=色覚正常者)に受け入れられるのか分からない
不安と恐怖。
相反する思いを持ちながら、
僕の描く作業は続くのである。
題材の場所: