碑文谷八幡宮の狛犬

碑文谷八幡神社の狛犬
「君は君のままでいい」F4・キャンバス・アクリル)

君は君のままでいい

今回の絵画は、今年(2021年)の初夏に

「碑文谷八幡神社(ひもんやはちまんじんじゃ)」

狛犬さんを元に描き上げたもの。

Twitterにアップしたとき

「君は君のままでいい」という題名にした。

反応はそれなりにあったので

とても嬉しかった。

今は、このようなSNSという

発信できる場があるので、

非常に便利になったと思う。

文明の利器は使ったほうがいいのだろう。

 

絵というもの、どちらかというと

ひとり黙々と描いているので

いまいち、いいのか悪いのか自分では

よく分からなくなってくる。

 

2019年に描き始めたころは、

とにかく、今まで描きたくて抑えていた気持ちが

爆発したような感じで、

ただ絵の具を塗って、筆を走らせてるのが、

楽しくてしょうがないという気持ちだった。

 

そのときは、自分の中の

もうひとりの自分がいいという

声が聞こえるまで描いていた。

 

ところが、しばらくずっと描き進めていくと

この自分の声が聞こえづらくなってきているのだ…。

 

それは、いままでそんなに力を入れて

絵画について勉強をした訳ではないので、

いろいろを関係書籍を読んだり、美術館に行って絵画を見たり、

ネットで調べたり、You Tubeを見たり、と

さまざまな情報を得てきていることが要因のような気がする。

歴史やら、技法やら、絵画の知識が頭の中に

たくさん入ってきて、その情報が、

しだいに自分の目指している絵画の方向性や

自分の絵の価値観を揺らがせて

自分自身の目指すところが分からなくなってきているようなのだ。

例えて言えば、

暗闇の中、北極星を目指して漕いでいた自分の舟が

途中、その暗闇の中にもいろいろな星があるのに気づき、

それぞれが素晴らしい魅力的な星なんだと思い、

目を奪われている状態なのだ。

そして、僕の目指しているところは、

果たしてこの方向でよかったのか…、

他にも行く方向があるのではないか…、

あちらに行けばもっと素晴らしい世界があるのではないか…、

そのような思いが行きつ戻りつしている状態なのだ。

好きなことに着手しはじめた僕だったが、

こんどは、好きな世界の中でも

進めば進むほど

いろいろと悩みが生じ、考え込むことも

あるのだなあ…そのように思うのだった。

 

今回の絵は、

親獅子が子獅子をかばうように

背中に手をおおいながら正面を向いている。

その仕草を見て

親の気持ちになったときに出た言葉が

このタイトルとなった。

「君は君のままでいい」

 

そう、この言葉は自分自身へにも

言っている言葉なのだった。

碑文谷八幡神社の狛犬

碑文谷八幡神社に行ったのは

2019年の年末のことだった。

鳥居をくぐると広い境内がある。遠くに見える一段高くなったところに拝殿はある(露出を上げています)。

その日、目黒区近辺の神社参拝をしていて

たどり着いたのは16時ぐらいだったろうか。

境内は木々におおわれ、少々薄暗かった。

一段高くなった境内の階段を上がって

左右に、狛犬が見えた。

一目見るなり、惚れてしまうくらいの

狛犬がそこにいた。

渦を巻くたてがみが流麗にながれ、

凛々しい顔立ちの狛犬がいた。

手元には、小憎らしい子獅子が

親の足元にまとわりついていた。

吽形狛犬。足元にからみつく小獅子の表現が秀逸だ。

この顔立ちはどこかで見たような記憶がある。

台座を確認すると

中村勝五郎と記されていた。

明治26年(1893年) 石工・中村勝五郎、鈴木悦造

中村勝五郎と言えば、代々木八幡の拝殿前の

狛犬を彫った方だ。

顔つきは、よく似ている。

たてがみの流れ、

子獅子の戯れる様の愛らしさ

彫りの技量の素晴らしさ、

やはりいい。

また、次も来て

じっくり味わいたい狛犬さんである。

 

なお、拝殿両脇には

招魂型の凛々しい狛犬さんも

いらっしゃいます。

(平成5年作、石工不明)

 

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