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江ヶ崎八幡宮の狛犬

江ヶ崎八幡宮の狛犬
「江ヶ崎八幡宮の狛犬」F4・キャンバス・アクリル

江ヶ崎八幡宮

今回描いた絵は横浜市鶴見区にある

江ヶ崎八幡宮の狛犬である。

 

ここには2度参拝をした。

1回目は2021年の2月7日である。

その頃、鶴見区で有名な石工、

飯島吉六(いいじまきちろく)の狛犬を見たく

その界隈の吉六狛犬を探して回っていた。

前日は、末吉神社上之宮八幡神社

迫力ある猫背気味の狛犬に圧倒され

余韻に浸って、ホテルに泊まり

日曜の朝から自動車で神社周りをしていた。

Google Mapsをたよりに

昼頃、新鶴見公園の近く、

住宅街の一角に向かった。

近くに車を停めると、広場に向かった。

入り口には石造りの鳥居が立っていた。

全体を見回すとおよそ神社という雰囲気ではなく

境界沿いに木々の立った広い公園であった。

端にあるブランコの近くで

子どもたちが声をあげて遊んでいる。

まったく神社らしくない境内である。

Google Mapでは江ヶ崎八幡宮の境内は

「江ヶ崎子供の遊び場」と記されているので

どちらかと公園の片隅に神社があるという感じだ。

鳥居から一直線の石畳がつながり

突き当りに拝殿がある。

このどこにでもありそうな拝殿の前に

今回の狛犬が左右にでんと座っていた。

ひと目見るなり、おおっとなった。

渋い!カッコいいのである。

こぢんまりと座っているのだが

たたずまいがいいのだ。

 

阿形は、頭の上にお餅みたいな宝珠が乗り

吽形は、しっかり大きめの角が乗っている。

目の上に被さりぎみに眉。横に広がった鼻、

綺麗に揃った歯並びの中に犬歯が2つ、

その下にガッチリした顎。

渋いいい顔した狛犬さんだ。

よく見ると吽形の足元は修繕されたあとがあった。

ネットで調べると、高名な彫刻家、高家理さんが

修繕したとのこと。

よくあるにわか修理では無く、

ここの狛犬は、さすがに彫刻家さんが修繕したので

綺麗に再現されているのだ。

こういう狛犬を大事にしていただける、ここの氏子さん達、

協力して修繕してくれた方達、とてもありがたいことだと思う。

とくにここのは飯島吉六の中でも初期の頃の作、

貴重な狛犬なのだ。

飯嶋吉六について

石工:飯嶋吉六と言っても、同じ人ではない。工房の名前なのだ。

初代飯嶋吉六は1755年に没している。

二代、三代と続き、今回絵に描いた「江ヶ崎八幡宮」の狛犬は四代目の飯嶋吉六なのである。

現存する飯嶋吉六の狛犬で一番古い。天明8年(1788年)の作なのである。

代によって、作風も多少異なる。特に目をみはるのは、6代目の軍次郎狛犬である。

猫背の狛犬は迫力があって、いつか絵にしたい題材だ。

狛犬好きならば、知らない人はいないだろういうくらい魅力ある狛犬だ。

 

一応、狛犬と吉六の流れを年代別にして分かりやすく表としてまとめてみた。

まだ、漏れている狛犬であろうが、それは継ぎ足していこう。

(けっこう纏めるのに手間がかかった(~_~;))

神社名 ルビ 場所 作成年 石工(系譜) タイプ
  一代目吉六(五良右衛門)宝暦5年(1755)没
  二代目吉六(吉兵衛)
  元文2年(1737) 三代目吉六(吉六)生まれる
  天明3~7年(1783~1787) 三代目吉六(吉六)没
  天明3年(1783) 四代目吉六(吉十郎)吉六を名乗る
江ヶ崎八幡宮 えがさき 神奈川県横浜市鶴見区江ケ崎町13 天明8年(1788) 四代目吉六 現存吉六の一番古い狛犬 蹲踞
  文化12年(1815) 五代目吉六(仁三郎)没(63歳)
  文化12年(1815) 六代目吉六(軍次郎)吉六を襲名
上の宮八幡神社 うえのみやはちまん 神奈川県横浜市鶴見区上の宮1-29 文政8年(1825)正月 六代目吉六(軍次郎) 猫背
末吉神社 すえよし 神奈川県横浜市鶴見区上末吉4-14-4 天保3年(1832)12月 猫背
駒林神社 こまばやし 神奈川県横浜市港北区日吉本町2-25 天保9年(1838)2月 七代目、八代目吉六(幸次郎・惣五郎) 子持ち
篠原八幡神社 しのはらはちまん 神奈川県横浜市港北区篠原町 天保10年(1839)正月 七代目、八代目吉六(幸次郎・惣五郎) 子持ち
六所神社 ろくしょ 東京都大田区下丸子4丁目16−5 天保10年(1839)2月 七代目、八代目吉六(幸次郎・惣五郎) 蹲踞
大綱金刀比羅 おおつなことひら 神奈川県横浜市神奈川区台町7 天保11年(1840)3月 六代目吉六 没(55歳) 蹲踞
綱島諏訪神社 つなしまはちまん 神奈川県横浜市港北区綱島東2-10 天保12年(1841)7月 子持ち
冨塚八幡 とみづか 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町3,827 天保12年(1841)8月 七代目、八代目吉六(幸次郎・惣五郎) 子持ち
  天保13~15年 七代目吉六(幸次郎←六代目の長男) 天保13年家出
鮫洲八幡 さめずはちまん 東京都品川区東大井1-20 嘉永2年(1849)10月 子持ち
  嘉永5年~元治元年 八代目吉六(惣五郎←六代目の次男)神奈川宿へ移る
東神奈川熊野神社   神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-1-3 嘉永6年(1853)6月 子持ち大型
黒船神社 くろふね 東京都台東区寿4-3-1 嘉永7年(1854)9月 子持ち
  九代目吉六(茂吉)鶴北斎と名乗る
新吉田若雷神社  しんよしだちょうわからい 神奈川県横浜市港北区新吉田町3490 明治5年(1872) 台座に吉六の銘があるが、作風からして異なる。新たに別の人が再建したと推測
杉山神社 すぎやま 神奈川県横浜市鶴見区岸谷1-20-61 明治13年辰12月再興 飯島吉六とは違うのでは? ブサ顔
白幡神社 しろはた 神奈川県横浜市鶴見区東寺尾2-10 明治19年(1886)12月 九代目吉六(茂吉) 子持ち
中丸子明神大神 なかまるこみょうじん 神奈川県川崎市中原区中丸子 明治30年(1897)10月 飯島吉六 子持ち
中島八幡 なかじまはちまん 神奈川県川崎市川崎区中島2-15 明治30年(1897)2月 九代目吉六(茂吉) 子持ち
鹿島田神社 かしまだ 神奈川県川崎市幸区鹿島田 明治35年(1902)9月 十一代目吉六() 子持ち
大島八幡 おおしまはちまん 神奈川県川崎市川崎区大島3-4-8 明治39年(1906)10月 十一代目吉六() 砲弾持ち
  十一代で途切れる
 

ブログの記述がだいぶ遅れました。

コロナ下の間は、いいのか悪いのかだいぶ時間があったのだが、しだいとコロナの影響がなくなってくると仕事が、再び元通りの量になりつつある。

でも、また改めて描いていこうと思ってます。

 

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