獅子奮迅
今回の狛犬絵は、いつもとタッチが異なる。
どちらかというと、今までは
形をとらえる線をなるべく廃して、
色面で描くことを主にしてきた。
(日本画でいう「没骨法(もっこつほう)」だ)
だが、今回は形を線で描いて絵を描くことにした。
なぜか。
それは今回題材にした狛犬のおりなす鬣(たてがみ)が
あまりに流麗で、1本1本の流れる線が素晴らしかったからである。
これをいかに表現しようと考えたら、
やっぱり黒い線で表現するのがいいのかなぁと考えたのだ。
(日本画でいう「鉤勒法(こうろくほう)」)
没骨法で描くと、毛の1本1本の幅が狭く、非常に描きづらい。
けっこう大雑把に描くわたしなので、鬣がうまく表現できないのだ。
さきに形をとらえ、鬣の流れを描き、あとで色をつける
鉤勒法のほうが表現しやすいのではないか、と思ってトライしてみた。
ただ、同質の線で、同じような太さで描く線は好みではない。
線でもゆらぎのある線が好きなのだ。
なので、水差しボトルにモデリングペーストを入れ、
ここに黒いジェッソを流し込み掻き混ぜ、
注ぎ口から出る墨色で線を描いてみた。
そうすると、扱いは難しいが不均一で
ゆらぎのある線ができる。ダマになったり、
急に太くなったり、細くなったり。
そのような不安定な墨色の線で
デッサンして乾かし、あとで色付けをした。
こういう描き方もあるのだろう。
描きたい対象にふさわしい描き方を考えていると
いつしかこういう描き方となったというしだいである。
白山比咩神社の狛犬
今回の絵は福島県石川郡浅川町にある
「白山比咩神社(はくさんひめじんじゃ)」の狛犬の絵である。
ここには3度行った。
2019年の5月、2023年の5月、
そして去年2024年の10月である。
それだけ思い入れのあるお気に入りの神社なのである。
2018年頃から神社参拝を始め、
2019年には1000社の参拝を超え始めていたと思う。
病気をして、健康のため体を動かさなくてはならないと散歩をしはじめ、
ただ歩くだけでは面白くないと、目的のポイントを決めたのが神社だった。
大きな御神木を見るのも好きで、あちこちと動き回っていたが、
そのうち、ところどころにいる狛犬にも目が行くようになった。
するといろいろな狛犬がいるのに気付いた。
顔や形、たてがみや尻尾、そして彫りや技巧の上手さなどに
気がつくようになったのだ。
そして、その関係の本もよく読むようになった。
当時は、そんなに狛犬関係の本はあまり出ていなかったが、
円丈さんの狛犬の古本を探して、手に入れては、読み、その関係の神社へ行った。
狛犬で有名な「たくきさん」の本を読んでは福島県に点在する狛犬が見たいなあと
思っていいた。
とくに、小松利平、小松寅吉、小林和平の狛犬はぜひ見てみたいと思っていた。
ちょうどその頃、友達が手術をして見舞いを兼ねて、
福島県に向かったのが、2019年のゴールデンウィークのときだった。
実物を見た衝撃は忘れもしない。
あまりに芸術的な狛犬たちを見て茫然としたものである。
いつか、それを題材にしたいと思いながら、
なかなか着手できていない。
一度、小松寅吉さんの狛犬を描いたが、
まだ、筆を持ち始めて間もない頃なので、
なかなかうまく表現できず苦闘したものだ。
また、いつか題材にしたいという思いは、いつも
こころの何処かに置いてある。
で、その頃に回っていた中で、
ここ白山比咩神社の狛犬を初めて見たとき、
姿はその近辺で見られる
飛翔型だったので、
小松寅吉か?小林和平か?と思ったのだが
長い階段を登って近づいて見たら
まったく違ったお顔だったので
少々がっかりしたのだった。
台座を見ると、
岡部市三郎・生田目佐伊助 と二人の名前が連なっていた。
昭和7年(1932)10月の作。
小林和平と同じ工房だったのかな?
ま、とにかく影響はかなりある…な、と思った。
だが、じっくり見ていると
なかなか手の込んだ作りではあると思った。
二度目に行ったときは、
これだ、これだ、なかなか面白いお顔しているねぇ。
よく見ると、とても個性的。
味があるじゃない、と思うようになってた。
三度目に行って見た頃には、
完全にこの狛犬にハマって
なんどもなんども回りを回って
方向を変えては鑑賞した。
いいではないか!
目をギロッとさせて
奮闘しているさま、
姿勢も鬣の流れも素晴らしい!
よし!君を描くぞ!
自宅に帰り、
キャンバスを出して、
わたしも絵に対して奮迅するぞ!と、
勢いで描き込んでいったのであった。
もっと描くんだ、描くんだジョー。
あしたのジョーみたいなセリフが
聞こえる~www
題材の場所: