仮宿の狛犬さん

仮宿狛犬さん
仮宿狛犬さん(M8・キャンバス・アクリルほか)

仮宿神社の狛犬さん(ぬぼ~狛犬)

今回の狛犬さんは、

西武池袋線、吾野駅を降りて10分ぐらい歩いたところにある

「仮宿(かりやど)神社」の狛犬さんである。

 

とぼけたお顔で最近は有名になってきているようだ。

僕が最初に拝見したのは、

2020年の文化の日。

西武沿線に住んでいる僕は沿線界隈で

狛犬のめぼしいものはないかなあ、と探していた。

グーグル・マップで沿線を見ていると

秩父駅に行く途中、吾野駅の近くに

面白い顔をした狛犬さんがいるではないか。

こりゃ、ぜひ、一度現物を拝まなくちゃ、と

文化の日に電車に乗って吾野駅に向かったのだった。

 

吾野駅は高麗川沿い、少し高くなった場所にある

緑に囲まれたローカルな駅だった。

吾野駅から見た風景
吾野駅から見た風景。左が駅舎。中央が北側の風景。(2020年)
吾野駅前橋よりの眺め
吾野駅前橋よりの眺め。高麗川の中の岩の上に吾野弁天が右に見える。(2020年)

吾野メイン通りなのか、徒歩で郵便局前を通って、

近くの白鬚神社を寄ったあと

白髭神社
仮宿神社に行く途中にあった「白髭神社」(2020年)

いよいよ「仮宿神社」に向かったのだ。

 

借宿神社は、吾野トンネルの西側、

トンネルを出たすぐ、

299号線に面した場所にあった。

日当たりのいい場所である。

借宿神社全景
借宿神社全景(2020年)

鳥居を潜ると参道両脇には

岡崎現代型の狛犬さんが座っていた。

岡崎型・吽形蹲踞
仮宿神社の鳥居
仮宿神社の鳥居。拝殿前に、岡崎現代型狛犬が見える。(2020年11月)
拝殿前の狛犬
拝殿前の岡崎現代型狛犬(2021年8月)

平成22年8月奉納のまだ新しい狛犬さん。

※じつは、初めて参拝に来た時、岡崎現代型についてはあまり興味なく

ちゃんと写真を撮っていなかったので、2021年の8月にも再度来て、年代を確認し、

再び写真を撮りました。今回の記事には、2つの年の写真が混ざってます。

目的の狛犬はどこだ、と拝殿まで来ると、

右側に巨大な御神木が立っていたが、

その横に拝殿に向かうスロープの両脇に

阿吽の狛犬が見えた。

拝殿横の御神木の横、スロープの両脇に座る狛犬。
拝殿横の御神木の横、スロープの両脇に座る狛犬。(2020年)

ネットで「仮宿神社」を検索すると、

最近の神社の写真が多く出てくるのだが、

その中に2010年に撮った写真があった。

その頃は、鳥居は木で出来ており、

このとぼけた狛犬さんは参道途中に

座っていたようなのだ。

恐らく、平成22年(2010年)8月吉日に

新しい狛犬さんを迎い入れたことで、

(恐らくその頃に拝殿も改修されたか…)

この「おとぼけ狛犬さん」は移動させらたのだろう。

ここまで書いて、ネットで調べてみると

吾野トンネル開通(平成27年3月7日に開通)による

道路拡張工事にともない社殿脇に移設されました、と

書いているブログの文章をみることができました。

ということは2015年に移動したということになる。

仮宿神社の狛犬について

垂れた眉毛、垂れたお目々、

大きな口角を上げたお口、

丸い鼻の穴、

こんな脱力系の狛犬さんも珍しい。

左側に座る狛犬
仮宿神社、スロープ左に座る狛犬。(2021年)

通常、狛犬は厳しいお顔をしているのが

ほとんど。

なのに、ここのこの狛犬は

なんと、ゆるいお顔をしているのだろう。

参拝に来た人はこの顔を見て

思わず、つられて顔が緩んでしまうだろう。

そんな狛犬なのだ。

狛犬の制作年代、材質など

台座を見ると、「大正15年(1926)7月20日」と記されている。

ほぼ100年前の狛犬。

世話人や発起人の名前は彫られていたが、

石工の名前は彫られていなかった。

 

ところで、この狛犬、材質は石というより

セメントを固めて作ったような作りなのだ。

以前、「北小岩八幡神社」のメルヘン狛犬を

描いた狛犬さんと同じような作りなのだ。

北小岩八幡神社・阿形狛犬

つまり、石を彫って作るのではなく、

骨組みを作って、そこにセメントのような材質を

くっつけて形を整えていく作り方なのだ。

以前にも書いたと思うが、このような作り方だと

どうしても細かい成形がしづらく

おおざっぱで丸っこい形になってしまうのだろう。

しかし、ここのはとてもユニークで

一度見たら忘れられない狛犬に上手に仕上げたものである。

北小岩八幡神社の狛犬より、8年前に作られているが、

誰が、このようなデザインで、このような材料で

作ったか、まったく謎である。

(氏子さんに聞けば、少しは資料が残っているかも知れないが…)

その後、この近辺の神社を、いくつか回ったのだが

同じような狛犬はないのである。

 

狛犬の分類でいうと、いったいどの部類に入るのだろうか?

「はじめ狛犬」に近い型ではあるが、

年代が大正作なので当てはまらない。

はじめ狛犬とは?
別名:初期型狛犬とも言う。

石でできた参道狛犬が作られ始めたのは江戸中期の頃。

その頃、狛犬という造形をよく知らない石工たちが、

伝聞や自分の想像をめぐらして彫りはじめた。

だから技術的には稚拙であるが個性的で素朴で味のある狛犬が多い。

独自型というのだろうか。

けっして美形とは言えないし、どちらかと言うと

ブサい。でも愛嬌はある。ユーモアもある。

キャラクター的でもある。

いわゆるブサカワ型か? そんな分類はないよな…。

 

以前、北小岩八幡神社の狛犬のことを、

僕はかってに「メルムーちゃん」と呼んでいたが、

今回の狛犬は、なぜか「ぬぼ~狛犬」と言ってしまう。

どこかの製菓会社のキャラクター「ぬーぼー」ではない。

「ぬぼ~」なのだ。

「にゅうどうかじか」という深海魚の口角を上げたような、

ぼ~っとしたお顔立ち。

にゅうどうかじか(深海魚)

「ぬぼー(オンビキ)」ではなく「ぬぼ~(チルダ/チルダー/にょろ)」

なのだ。

ぬっ としたお顔で、ぼ~ としているから

「ぬぼ~」なのだ。もう、感覚的なものだからしょうがない(^_^;)

 

仮宿神社という名の神社、どなたが仮に宿として使ったのか、

その点については、多くの方がホームページに記しているので

省略します。

借宿神社は、飯能市長沢にある神社です。借宿神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が当地で仮宿したことから、日本武尊を祀る社を建立し借宿と称したと伝えられます。また、「高山案内記(安政2年1856年)」では、流星が入間野の臥龍山へ飛んで行く際に、当社で休んだところから借宿明神と呼ぶようになったと伝えています。長沢を含む下吾野郷の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際して明治5年村社に列格、大正6年長沢字八徳の無格社二所神社を合祀しています。

(猫の足あとより)

ぬぼ~狛犬を描く

この仮宿神社の狛犬さん、

じつはどちらも口を開けているのである。

どちらかというと左側のほうが開けて口角を上げ、

右側のほうは開けてはいるのだが、

上唇(あるのかないのか^^;)が閉じ気味ではある。

だから、左が阿形で右が吽形かも知れない。

通常とは逆位置だ。だが、はっきりとしない口元なので

なんとも言えない。

 

どちらも表情がいいので、1つ描いても寂しい気がしたので

結局、2つを並べて描くことにした。

(当然、実物は、隣接して並んではいない)

本来、2つを同じ大きさで並べて描くのは

絵画では構図上、面白みのない構図なのであるが、

今回はしょうがない。どちらも対等に描きたかったので

長めのキャンバス、M(マリン)サイズのキャンバスを

横にして使うことにした。

キャンバスにモデリングペーストで下地を塗り、

乾かしたあと、さらに紙を2つの狛犬の形で切り取り、

キャンバスに貼り付け、さらに狛犬部分に

モデリングペーストを重ねていった。

やっぱり、石の質感を出したいので、

どうしても厚塗りになる。

すべてを乾燥させたあと、

パイオレットでざっと輪郭を描いていく。

仮宿神社狛犬さんの下書き
キャンバスに描いた下書き

およそ、これで全体の構図を確認。

最近は、下地作りで最低3,4時間はかかるので

どうしても、思いついたら直ぐに描くということが

できなくなった。

だから、頭の中で、今日は土台まで、つぎは、

デッサン、それから絵の具を重ねて…、と

考えながら進めるのである。今のところ

僕はアクリルメインで描いているので

比較的、乾くのも早いのだろう。これが

油絵の場合は、たいへん時間がかかる。

その点がとてもイラつく。でも、塗り重ねの

味わいの良さ、発色の良さは油絵が一番なのだが…。

 

絵の中に「ぬ」の文字を入れたくなったので

写真を撮り、さらにアイビスペイントに取り込んで

文字入りパターンも作ってみた。

(こうすれば原画をいじらなくて済む(^^))

ぬぼ~狛犬
「ぬ」の文字を入れた仮宿狛犬。アイキャッチの絵と「ぬぼ~狛犬」、どっちがいいかな??

ぬぼ~ちゃん、どうですかねぇ。

ぼ~~、とした顔して今回の絵の中の狛犬さんは

無表情のままであった。汗

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