天神社の狛犬
2023年の12月中旬
山梨県の狛犬見学に出かけた。
山梨のいいところは
多くの場所から富士山がよく見えるところだ。
たぶん、日本中を旅をして回った人は、
この美しい大きな山姿を見て、
ここに住みたくなるのではないかと思う。
あの美しい大きな山は、
目印にもなって方角も分かりやい。
さらに、毎日眺めていても
いろいろな姿を見せてくれ飽きることない。
昔、ここの地に住み着いた人は、
きっとこの富士をありがたがり
住み着いたのだろう。
分かる気がする。
その日、
山奥の穂見神社に行って木彫りの狛犬を
見たときは感激したものだ。
また、狼の像を見たときも
独特なこの地域の造形に
驚くとともに大事にされている様子をみて
心を打たれたものだ。
その時の絵も記した。
今回、絵の題材にしたのは穂見神社から
稲穂稲荷神社へ行く途中に寄った天神社の狛犬だ。
神社自体は、国道42号線近くの住宅街にある小さな神社である。
どこにでもあるような地域の神社である。
ただ、ここの狛犬さんが
とても愛らしいお顔をしていて
家に帰ってからも、
どうしてもこの狛犬さんのイメージが
頭に浮かんでくるのでしょうがない。
描くことにした。
この天神社については、由緒書もなかったし
ネットで調べてもたいした情報もない。
ただ、天神社ということから
御祭神は、菅原道真公だろう。
勉学を励んでいる学生が受験前に
祈願しに来ているのかも知れない。
おそらく地域で大事にされている神社なのだろう。
狛犬は、昭和五年(1930)四月、
刻 依田傅作 と台座に記されていた。
昭和の狛犬は、昭和の初期頃までは
石工の手で作られ、それなりの
いい作品が残っている。
昭和の狛犬のピークは
皇紀二千六百年(昭和15年、1940年)頃だと思う。
日中戦争さなかの頃で
翌年より太平洋戦争と突入して
国民の生活はだんだんと苦しくなってくる頃だ。
いろいろと狛犬巡りをしていると
皇紀二千六百年に作られた狛犬が多いのに気づく。
節目の年であるし、時代的には
戦意高揚のために奉納されたのが多いのだろう。
ただ、それ以降は、戦争中、戦後となり
狛犬を作る職人も減っていき
しだいと岡崎現代型が増えてくるのである。
(最近は、機械彫りの外国産のが増えている)
この件は、狛犬-岡崎型とは何だ?、で記したの参照してください。
昭和の時代であっても
いい作品に巡り合うことは
とても嬉しいことである。
依田さん、
かわいい狛犬さんを彫ってくれて
ありがとう。
今回、ツイッター(=X)にアップ(2024年2月8日)したときから
加筆して、もっと背景を暗くして
狛犬を目立たせる工夫を施しました。
題材の場所: