白鳥神社(しらとりじんじゃ)へ行く
2020年の2月の始め
麻生区方面の神社を見に行った。
ひとつは、細山神明社を狛犬を見に行くためだったが、
この白鳥神社も見たい狛犬だった。
狛犬で有名な「たくきさん」のホームページに
多摩丘陵の狛犬・川崎市麻生区の狛犬のコーナーがあり
興味深い写真があったからだ。
3時を過ぎた頃、
この神社の前に来た。
樹々の茂った参道を過ぎると
拝殿に向かって登る階段が見えた。
階段を登ると
枯れ葉を箒で掃いている
おばあちゃんとすれ違った。
この時期はいくら掃いても
次から次へと枯れ葉が
積もるからたいへんだなあ、
と思いながら、「こんにちは」と
ひと言、挨拶をしたら
おばあちゃんが
「風が吹いてきたわねぇ」と。
それから話が始まった。
その会話は後回しにして、、、。
階段を登りきると
そこに境内が広がっていた。
正面を見ると拝殿が見え、
その両脇に目的の
狛犬が左右の台座にでんと座っていた。
参拝を忘れ、
おもむろに近づいた。
「これが内藤慶雲作の狛犬か……」。
じっと見詰める。
以前、吉澤耕石のことを
記したが、内藤慶雲は
その耕石と人気を二分した
石工なのだ。
内藤慶雲のことを簡単に説明すると、
明治から昭和にかけて、
川崎市溝ノ口を拠点に
鶴見川、多摩川流域を中心に
数多くの石造物を手掛けた石工
なのだ。
ただし、内藤慶雲と言っても、
一人ではない。
初代が、内藤留五郎(弘化3年の生まれ)で、
42歳から内藤慶雲という名を名乗り、
その後、その引き継いだ弟子達
(選ばれし技能をもった弟子のみ・
約50名弱の弟子のうちおそらく4名ほどか、
さだかでない)が
内藤慶雲の名をかたって作品を
作っていったのだ。
だから、一人というわけではない。
ここにあるのは、明治32年の作なので、
川崎市麻生区白山4丁目にある白山神社の
狛犬(明治21年)の作とは、少々はなれているので
二代目の内藤慶雲作か。
内藤慶雲のその後の作品は
いろいろといい作品があるようで、
この狛犬は、技術的に拙いところがあり、
初代の狛犬ともタイプがぜんぜん違うことから
内藤慶雲と名乗ってまだ、間もない頃となる。
「たくきさん」は、
「やはり慶雲は最初の頃はまだへたくそで」と
記しているのだが、
僕は、この狛犬がとってもこの
愛しく感じられる。
なんだか素朴で、
おっとりした表情がとてもいいのだ。
あたまが少々傾いたように
見えるのだが、
わざとなのか、自然と
作ってそうなったのか
わからない。
でも、そこがいいんだなあ。
白鳥神社の狛犬の絵を描く。
拙いながらも
僕もけんめいに、この
二代目?内藤慶雲の狛犬の絵を
描いてみた。
いきおいで描いたので
少々荒削りな感じだ。
数ヶ月おいてから、また取り出して
少々、書き直したぐらいだ。
ラフな感じはそのママにした。
狛犬への愛おしさは変わらない。
白鳥神社のおばあちゃん。
そう、階段ですれ違った
おばあちゃんとの会話を
記します。
「わたし、ここに掃除に来て
もう22年になるの」
「それは凄いですねぇ。
氏子さんなんですか?」
「いいや。わたし、氏子に
ならないか誘われたけれど、
入らなかったの。
そういうの嫌なの。
ボランティアでやるのがいいの。
でも、これをやっているから、
神さまから元気をもらっているの」
「へー。おばあちゃん、いくつなんですか?」
「わたし、88歳よ」
「ええっ。88!?」
「そうよ!」
「そういや、背中シャキンとしていますねぇ」
「わたし、卓球もやっているのよ!」
「うへーっ。そりゃ凄いですね」
とやりとりが続いて、
話が長くなりそうなので、
参拝しに行きますと言って
僕は狛犬を見に行ったのだった。
参拝をし終えると
ちょうどおばあちゃんも
掃除を終えた頃で、
また、話が始まった。
要約すると、
会津生まれで、
今ではこの神社の近くに
住んでいる。
月に4回は掃除に来ている、
とのことだった。
掃除器具を片付けると
綺麗になった階段を降りて
去って行ったのだった。
ほっこりする狛犬と
ほっこりするおばあちゃん。
とても気に入った白鳥神社であった。
題材の場所: