荒井須賀神社への参拝
2021年の7月、僕は埼玉県北本市近辺を
自転車で散歩した。
自転車を漕いで動き回るので
散「歩」はおかしいかな?
ネットで調べたら自転車でゆっくり走り回ることを
「散走(さんそう)」と言うらしい。
別名、ポタリングだ。
ポタリングに関しては、これは和製英語だとか、いや
もともと英語であったとか…よくわからない。
いずれにしても、昔にはない言葉なのだ…。
で、僕は「散走」という言葉を使うとしよう。
北本市の子供公園というところに
車を停めて、そこから折りたたみ自転車を
ひっぱり出して散走してみた。
公園の近辺の神社を回り、
それから北上した。
この近辺では有名な
「高尾氷川神社」を目指して散走した。
すると、その神社のすぐ近くに
もうひとつ神社があった。
それが今回の題材となった狛犬さんのいる
「須賀神社」である。
神明鳥居をくぐった先には、
シンプルな境内がつづき、
奥に拝殿が見えた。
鳥居の横の空いた場所に自転車を停め
歩いていくと嬉しいことに
どっしりとした狛犬さん左右の台座に
座っていた。
予想外のできのいい狛犬さんなので
うきうきしてしまった。
なかなか渋くていい彫りの狛犬さんだ。
目の上の渦巻毛がおおいかぶさり
なんとなく、なさけないような表情。
比較的、石がしろっぽく
今回、絵にした阿形の狛犬さんも
そういう白っぽいイメージで描いてみた。
台座を見るとしっかり石工さんの名が彫られていた。
昭和3年3月15日に建てられたもので、
石工は、
「加須町石刻師 石川意至」。
加須町は今でいう加須市のことだ。
ネットで調べると
加須市を中心に作品が残る石工さんとのことだ。
加須市にある有名な「玉敷神社」の狛犬さんも、
石川意至とのことだ。
あちらには2度、参拝にいって
狛犬の素晴らしさに感銘していたが、
同じ作家だったのか、とこの記事を書いていて思う。
あちらは大正8年作。
大きさも須賀神社より、ちょっと大きく
両方の狛犬の手元には子獅子がいる。
子獅子がいるだけで、発注値段も高くなるといわれているので
たぶん玉敷神社のほうは、予算あるなかで
力を入れて彫った作品なのかなと思う。
たてがみの流れも流麗である。
そのような凝った狛犬なので
描くには難しいのだ。
で、こちら熊野神社の狛犬さんは
手元にはなにもない作りなので
少しは描きやすい。
こちらは、玉敷神社の狛犬から
10年後に彫られた作品。油ののった頃の
石川意至さんの作品なのかも知れない。
いずれにしてもこの界隈では有名な
石工さんの狛犬を描くことができて
自分の中では嬉しい気持ちである。
須賀神社の拝殿は珍しく
扉が開いて中のようすも伺えた。
写真を撮る。
拝殿の中は祭壇の鏡が奥に見えた。
参拝を終えると一度下がって拝殿全体を写真におさめた。
実は、この拝殿の写真をTwitterにアップしたら
「ここのお社は ちゃんと神様御出になる✧✧✧」と
コメントが来てびっくりした。
言われてよく見ると確かに拝殿中央に大きい丸い輪のような
ものが写っている。
でもこれはたぶんスマホでよくある
ゴミが光の入り具合で丸く写るものだなと思う。
「温かな雰囲気だから喜んでいらっしゃる」と
コメントが来た。
よく分からないが悪い気はしなかった。
ただ、なんでもかんでもすべて神秘的なもにに
結びつけるわけにはいかない僕もいる。
ただ、暑い初夏の日に
静かな境内にいて
とても心地いい気分でいたので
その思いだけで十分である。
こういう神社が好きなのだ。
須賀神社の狛犬を描く
今回のキャンバスは一度
絵の具を垂らして実験したサムホールの
キャンバスを土台にした。
上のように絵の具を垂らして
遊んでいるのだ。垂らして遊ぶのは面白いのだが、
いまいちの模様ができてしまうと
がっくりきてしまう。
こういったがっくりきたものは、その上に
また絵の具やらモデリングペーストをかぶせて
描いていくのだ。
今回は、厚くモデリングペーストをのせていった。
さらに狛犬部分には塗り重ねていった。
やはり、狛犬の重厚さを表すには
これが自然の流れなのだ。
いったん乾いたあとで、
アクリル絵の具を重ねていく。
背景はまだ乾いていなかったからか、
ちょっと筆をおくと
ヌメッとした感じではあった。
乾ききっていないモデリングペーストに
アクリルを塗るとちょっと表面が
マイルドになることも分かった。
毎回が発見である。
これもまた、ひとつの味わいではあるな…。
狛犬さんは、荒々しさを表すため
精密に描くことはしない。
描きながら狛犬さんに聞くのだ。
こういう感じかい?
そうだな。そういうかんじかな…。
描いている途中は、いつもそんな
対話をしながら描いている。
声がちゃんと聞こえるときは調子いいのだ。
今回も、色覚異常なので自分が使った色が何色なのかは
分からない。グリーンを使ったようにも思う。
ブラウンを使ったようにも思う。
分からない色をただ自分がいいと思った色を
自分の、内なる声でただ塗るだけである。
この辺りでいいじゃない、という声が聞こえるまで
塗り続ける。今回もそういう絵の描き方だ。
石を刻んだ意至(いし)さん、
あなたの強い意思のように、
わたしも絵を刻んでいきたい。
題材の場所: