狛犬の岡崎型(おかざきがた)とはなんだ?
狛犬マニアやファンの間で
「岡崎型」という言葉が
よく出てくる。
狛犬を見てきている人にとっては
あたりまえの言葉なのだが、
狛犬のことをちょっと見ただけの人は
なんだろう? と思うはず。
ここは狛犬のこと知っている方は
読み飛ばしてください。
まったく知らない人へ
向けて書きます(^^)
狛犬のふつうのイメージは?
おそらく神社に行って見る
狛犬のイメージは
冒頭・アイキャッチのような
狛犬のイメージしたのでは
ないでしょうか?
僕も神社参拝を始めていた頃は
そのようなイメージでした。
ちょっと
いかめしい顔。
するどい目をして
頭は巻毛。
腕は玉の上に乗っけていたり、
子どもの上に乗っけていたり、
さもなくば、
ただ腕を伸ばしている。
そして尻尾は立っている
(ソフトクリームのような形)。
上のイラストは、岡崎型・子獅子を抱えた狛犬。
(2回目に描いたイラスト、まだ筆のノリがいまいち^^;)
トップ(=アイキャッチ)にあるのが、
岡崎型(吽形)直立タイプ。腕には
なにも持っていない。
(3回目に描いたイラスト、ちょっと慣れてきた)
なぜ狛犬と言うと岡崎型がイメージされるのか?
多くの人が最初にイメージされるのが
なぜ岡崎型なのか?
それは単純に、数が多いからです。
神社・仏閣に座っている
狛犬のおそらく
7割ぐらいはこのタイプの狛犬
なのです。
僕も神社巡りを始めてから
10社のうち7社ぐらいは
この狛犬が座っているのを見ます。
なぜ岡崎型が多いのか?
では、なぜ岡崎型という
狛犬がこんなに多いのか?
それは、この岡崎型という名前にも関係しますが
理由は、狛犬の図案(=設計図)が
広く石工たちに広まったからです。
そのおおもとが、「岡崎型」という
呼称と関係あります。
なぜ岡崎型と言われるのか?
じつは、石工の町・
愛知県岡崎市で生まれたからです。
明治・大正時代に活躍した
石工・酒井孫兵衛(6代目)が、
作り方を岡崎の石工仲間に公開してから
あっという間にひろまったのです。
(全国的に見ると1930~40年代)
特許の公開のようなものですかね。
公開してここまで
広まったということは
もちろん、このデザインが
当時の人たちに
とても気に入られたということです。
デザインがよくなければ
広まりませんからね。
たしかにスタイルをみると
りりしくカッコいいデザインです。
なぜ岡崎市で石工が多いのか?
ここでなぜ、岡崎市で石工が多かったのか、と
思いますよね。
それは、岡崎市の近くで良質な御影石が
採れたからです。
石は重いし運ぶのがたいへんですから、
自然とその近くで
石を加工する人が増えます。
記録によると室町時代の
後期から沿道で
石彫品が売られていたということですから
そのころから、石を職業とする
人がいたということになります。
岡崎市の特徴は、優れた石工職人がいることです。
全国から腕の優れた職人さんが集まってきたのでしょうね。
石の三大産地
ちなみに、
石の産地で他に有名どころは、
茨城県の真壁(まかべ)、
香川県の庵治(あじ)です。
愛知県の岡崎と合わせて石の三大産地と
言われてます。
真壁の石は、岡崎に比べると
キメが粗いですが、
国内最大規模の産地として有名で
産出量が多く、首都圏に近いので
販売にも有利で、首都圏の
地下鉄の階段の石に使われていたりします。
庵治(あじ)の石は、
キメのこまやかさが有名で
磨けば磨くほどツヤが出て
石そのものの評価が高いです。
岡崎型が敬遠される理由
岡崎型はあまりにも広がりすぎたため
狛犬ファンの間では、食傷気味になって
敬遠されています。
さらに、平成に入ってからは
中国で作られた
狛犬も出回ってきています。
おそらく日本で狛犬を作る
石工さんの数が少なくなり、
発注をしづらくなったのでしょう。
そこで振興してきた中国が、
ルートを設けて、にわかに
石加工を始め、職人を増やし
大量に安く生産し、
発注する側も予算も限りあるので
しだいに中国産へと
移行していったのだ、
と思います。
すると、写真を見ながら
作ったのか、見様見真似で
作ったのか、
これが狛犬?というような
首を傾げるような作品も
多く見られるように
なってきました。
また、技法的にも
鑿(ノミ)で彫るのではなく、
電動ノミで削って
ちょこちょこっと作るので
できの悪い狛犬も
見ることになります。
岡崎型の別の呼称
ところでこの
岡崎型、別の呼び方もあります。
ひとつは、
「こまやん」
命名は『狛犬学事始』『京都狛犬巡り』などを
著した小寺慶昭(こてらよしあき)さん。
これは愛称のような呼び方ですね。
僕はこんなことを
想像してしまいました。
狛犬巡りをしていて
またまた見つけて
しまったときに
思わずつぶやく。
「困った! また
見てしまったやん!」
これが、見るたびに
「まただ! こまったやん!」
となり。
またまた見つけて
さらにつづまり、
「あーーー、こまやん!」
となったかな^^;
もうひとつは、
狛犬の分類の
先駆けである三遊亭圓丈
(さんゆうていえんじょう)さんは
「しょうわ」
と名付けました。
おそらく昭和時代に入って
急速に増えたことで
このような名前を
つけたのだろうと思います。
ですが、
小松利平、小松寅吉、小林和平の
ような昭和時代に入っても
独自に開花した素晴らしい
狛犬作家さんもいると分かった
今では、この呼び名は
あまり使われなくなっているようです。
(三遊亭円丈さんの名書『狛犬コレクション』は、
現在、書店では売っていませんが、
アマゾンの中古品で手に入ります!)
岡崎型は2タイプある
あと、岡崎型には
もうひとつタイプがあります。
今まで語ったのが
「現代型」と言われています。
もうひとつは
「古代型」
現代型と同時期に広まったのですが、
数では現代型におよびません。
原型は
鎌倉時代の神殿狛犬、
「大宝神社の狛犬」です。
〇胴体は細身
〇肋(あばら)骨が出ている
〇胸が張り出している
〇胸に鈴が付いている
〇尻尾は立って先が分かれている
〇付属物を持つものはいない
岡崎古代型(おかざきこだいがた)の
見本を、描きましたので
見てください。
「どこに描いている?」
「この下や ↓ 」
ということで、
下谷神社の「岡崎古代型の狛犬」のイラストを
下に貼り付けておきます。
岡崎古代型のイラスト。直立不動、胸を張って、鈴が付いている。
(4回目に描いたイラスト。少し筆に慣れてきた。
あらためて、狛犬を線で描くと、細部がよく分かって
勉強になりました(^^))
岡崎型への関心
ただ、狛犬巡りも
ある程度、参拝を重ねてくると、
この岡崎型狛犬の
微妙に違う作りに
気が付き始め、
岡崎型のさらなる
区分けに気づく段階に入るのかも知れません。
最近、岡崎型の面白い顔を
描いたのが、こちらです。
夜の岡崎型を描いたのがこちらです。
僕はまだ、そこまで
極める境地までいってませんが。
岡崎型をさらに
つきすすめている
方もいらっしゃいます。
実際に、現在も狛犬を彫っている
「巽彫刻さん」のホームページには
岡崎型のさらに精しい
説明があります。
さすが、現在も岡崎市で
現役で活躍されている方です。
参照してみてください。
岡崎型狛犬のまとめ
- いかめしい顔。
- するどい目をして
- 頭は巻毛。
- 腕は玉の上に乗っけていたり、
- 子どもの上に乗っけていたり、さもなくば、
- ただ腕を伸ばしている。
- そして尻尾は立っている(ソフトクリームのような形)。
〇岡崎型と言われるようになった訳
愛知県・岡崎市で生まれた狛犬だから
〇岡崎型の別の呼称
「こまやん」 命名:小野寺慶昭さん
「しょうわ」 命名:三遊亭圓丈さん
〇岡崎型は2タイプある
岡崎現代型 と 岡崎古代型
狛犬には、他にも色々な型(タイプ)があります。
その他については、
また、記します。
では。
※読み返すと、勘違いや脱字や入力間違い
いっぱい出てくるなあ^^; 失礼。(2020/08/07)